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東京高等裁判所 昭和42年(ラ)15号 決定 1967年4月19日

抗告人 島田ヤス(仮名)

主文

原審判を取り消す。

本件遺言が遺言者亡島田公朗(本籍並びに最後の住所東京都新宿区下落合一丁目○○○番地)の遺言であることを確認する。

理由

抗告代理人は、主文と同旨の裁判を求め、その抗告の理由は別紙(一)記載のとおりである。

よつて審究するに、本件記録に徴すれば、遺言者島田公朗は昭和四一年五月二日胃がんのため東京大学伝染病研究所附属病院に入院、同月六日試験開腹を受けたが末期症状を呈して手遅れのためそのまま縫合され、同月一四日同病院において死亡したこと、これより前同人は既にその死期の近付くのを察知し、死亡の場合における遺産の分配を遺言して妻たる抗告人の将来の生活の安定をはかるため同年四月下旬懇意な友人の小田忠安、神山仁一を自宅に招き意見を徴した結果本件遺言書(別紙(二)のとおり)記載の趣旨と同じく、遺言者および抗告人の居住する抗告人肩書住所地所在の宅地二四〇坪および同地上の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪三五坪(評価額約五〇〇〇万円)は抗告人に与えること、現金、株券、動産等のうち金四〇〇万円を先妻亡芳子との間の長女寺田春子(同人は寺田誠と婚姻)に、金一〇〇万円を実弟島田慶治に、金五〇万円を実妹浜照子に、その余を抗告人にそれぞれ分与するという案をとりきめ、なお遺言者と抗告人との間には子がなかつたので右遺贈案にあわせて抗告人と前記誠、春子間の二男勝とが養子縁組を取り結ぶべきことを定めたこと、そうして遺言者はこれを自筆証書による遺言とするべくその作成の準備行為として神山に対し右各事項を書面にするよう依頼し、神山は弁護土山田敬太郎(本件遺言確認の申立人)の意見を徴して右遺贈案のみにつき覚書ようの書面を作成して遺言者に交付しておき、そのころ春子も以上のすべての事項にわたり遺言者に対して同意を与えていたこと、ところが遺言者の容態がにわかに悪化し、前記の日に前記病院に入院するに至つたので、抗告人および春子らが小田、神山らと協議して遺言書の作成を急ぐこととし、遺言者からその旨の承諾を得てこれを前記山田敬太郎に依頼し、山田はこれにより同年五月五日までの間に同人の事務所に小田、神山の両名を招き同所において、前記覚書の記載と同様の内容を本文とし、末尾に証人として右三名が住所、氏名を自署、押印した本件遺言書を作成し、同月七日前記病院の遺言者の枕頭において他の証人たる小田、神山の両名の立会いのうえ山田がこれを読み聞かせたところ遺言者はそのとおり相違がないという趣旨を表明し、更にその確認の意味で末尾に山田が記載しておいた同人の氏名の下に実印を押なつしたのであるが、その死亡に至るまで終始意識は明瞭であり、判断能力に少しの障害もなかつたこと、以上の事実を認めることができる。

右認定事実に基づけば、本件遺言書は民法第九七六条にいう危急時遺言の方式にのつとり作成されたものであることは明らかなところ同遺言は遺言者が当初予期していた自筆証書による遺言の内容とすべて一致し、かつ本件遺言の読み聞けの際にもその記載の内容を承認していたのであつて、その他前記遺言に至る経過全般をあわせれば、本件遺言が遺言者の真意に出たものというべきことは明白である。本件遺言書中作成日付が当初昭和四一年五月五日と記載されていたのを五を抹消して七日と訂正され、末尾の遺言者の記名の島田公朗の「郎」を抹消して「朗」と訂正記載されているが、本件記録によれば、前者の点は本件遺言の筆記者たる前記山田が当初五月五日に病院に赴く予定であつたところ同月七日に変更したため右日付を訂正したのであり、後者の点は山田の誤記により記載されたが、前記の当日これを発見、訂正したものであることが認められるのであつて、右認定を動かす証左となり得るものではなく、その他に遺言者の真意に出たことを疑わしめるべき事情はまつたく存在しない。もつとも、本件遺言は遺言をしようとする者が立会つた証人のうちの一人に対してまず遺言の趣旨を口授して筆記せしめ、ついでその筆記の読み聞けがなされた後各証人がその筆記の正確なことを承認して署名、押印をするという経過をたどらず、あらかじめ筆記者が了知した遺言の内容を記載し、これに各証人がその正確なことを承認して署名、押印した後遺言をしようとする者に読み聞けその承認を得るというように、上記の場合とは逆の過程を経て遺言書が作成されているのであり、果してこれが民法第九七六条所定の方式を遵守するものというべきか否か疑いを容れる余地がないではない。

ところで、民法第九七六条にいわゆる危急時遺言の方式の履践に不備があり、これにより遺言の無効を招来しうべきときには遺言者の真意に出たものかどうかの実体的判断に立ち入るまでもなく遺言確認の申立は不適法として却下されるべきかについては争いの存するところである。しかし、死亡の危急に迫つた者がした遺言につき家庭裁判所が確認の審判をするのはかかる遺言が比較的簡便な方法にのつとることが許されていることの反面として近親者その他利害関係を有する者の作為により遺言者の真意が曲げられ、あるいは真意に非ざる遺言が作出されるのを未然に防止するため遺言後すみやかに(同法第九七六条第二項所定の期間内に)確認の審判を経て当該遺言が遺言者の真意に出たことを一応確保しておこうとするにあるに過ぎず、遺言が法定の方式を遵守しているか否かは遺言者の真意の確認に事の性質上当然のかかわりがあるものではなく、ただ方式の不遵守の結果が時として遺言者の真意を疑わせる場合があるところからこの意味で方式遵守の有無が一つの認定資料たるを失わないことがあるというに止まるものというべきである。かように解したとしても方式の欠缺により絶対的に無効な遺言が確認の審判を経たことにより有効になるべきいわれがなく、若しこの点が争われるとすれば後日利害相反する当事者間において攻撃防禦方法を尽して訴訟上決定されれば足り、むしろ民事訴訟による裁判上の確定がその紛争解決に適合しているものというべきである。これに反し確認審判の段階において方式の欠缺ないし不備を理由として遺言が遺言者の真意によるものであるにもかかわらず確認の審判がなされないとすれば、右遺言はその一事によつてその効力を有するに由なく、じ後の遺言の検認、遺言の執行をなすことができず遺贈を受けた者その他利害関係人は訴訟上これを争う余地がなく、その救済の道を失うに至るものであつて、その失当なること明らかである。もつともかくいえばとて、方式の不遵守が、たとえば立会い、署名した証人が法定数に達しない等遺言書自体に表現せられており一見して遺言を無効ならしめることが明白であるときは、たとえ遺言の確認をしたとしても無意味であるから、かようなものまで方式の不遵守にかかわらず確認をすべしとするものではなく、かようなものはもとよりその確認の申立を却下するのが相当である。

本件においては、前記のように本件遺言が遺言者の口授し、証人のうち一名が筆記したものと解すべきか否かが方式遵守の有無を決する主たる点であるが、これについては実体的価値判断を伴い軽々に論定することを避けねばならない。(積極に解する見解として大審院判決昭和九年七月一〇日言渡参照)そうして家庭裁判所における遺言確認の審判の性質が前記のとおりであるとすれば、この点の方式の遵守があつたか否かはむしろ後日の実体的確定にゆだねて一応不問に付されるべきであり、直ちに遺言者の真意に出たものであるかどうかについて審究すべく、すでにこれを積極に認定すべきこと前記のとおりである以上当然に遺言確認の審判をしなければならないものというべきである。

以上説示のとおり本件遺言は遺言者の真意に出たものであることを確認すべきであり、これと異なり本件確認の申立を却下した原審判は失当であるからこれを取り消すべきである。よつて、民事訴訟法第四一四条、第三八六条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 浅沼武 判事 間中彦次 判事 柏原允)

参考

抗告申立の理由

本件確認の申立の為された遺言は亡島田公朗が昭和四一年五月七日に民法第九七六条所定の方式により為した遺言であり

抗告人は右遺言者亡島田公朗の妻(昭和一四年一二月二八日婚姻の届出を為す)で、公朗の右遺言により其の遺産である肩書住所地所在の在家及び其の敷地等の遺贈を受けて居るものであつて本件遺言に対する家事審判規則第一二一条第二項所定の利害関係人である、原審申立人山田敬太郎が確認の申立を為した本件遺言は昭和四一年四月一四日死亡した島田公朗が同月七日東京都港区白金台町、東京大学伝染病研究所附属病院に於て病勢悪化し死亡危急に迫り、右申立人、神山仁一及び小田忠安、三名の証人立会の下に民法第九七六条所定の方式により作成したもので遺言者の真意に出たものであることは間違ひなく、其の遺言書が証人の欠格、形式上明瞭な瑕疵等により遺言として無効であることの明かな場合でない以上、原審は調査の結果遺言者公朗の真意に出たものであることを認められるならば当然確認の審判を為すべきであるに拘らず、本件遺言は原審申立人山田敬太郎が同月五日頃その事務所に於て神山仁一の指示によつて書面を作成し同月七日前記病院の遺言者の病室に於て前記三名立会のうえ遺言者に之れを読み聞かせ捺印させたもので、遺言しようとする時に証人三人以上の立会があつたものと認められず、遺言の趣旨の口授を受けた者が之れを筆記して作成したものと云えないから民法九七六条の要件を欠き、たとい遺言者の真意に出たものであつても同条による遺言として確認することは出来ないとして確認の申立を却下したのは不当であるから原審審判に対し家事審判規則第一二一条第二項に依り即時抗告を為すものである。

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